AIの普及は甚だ凄まじい。あまり好きではないが、わたしも場面によってはお世話になっている。
調べものをするとき。お堅い文書の雛型をさくっと作りたいとき(内容ではなく型として)。要点をまとめて表にしたり図式化したいとき。あまりないけれど、画像を生成したいとき。
しかし、自分の想いや考えをAIに書いてもらったこと、要約してもらったことは一度もない。指示するより自分で書いたほうがきっと早いし絶対に正確だと断言できる。…というかそれ以前に、書くのが好きだから自分で書いてしまう、という側面も強い氣がするが、そのせいかわたしのAIの利用目的の中に、「言語化」は存在しない。メールの返信を考えてもらうとか、「この人にこういうことを説明したいんだけどどう伝えたらいいか」など、AIに「言語化」を求めるシチュエーションはおそらくこんな感じだろう。
上記のようにわたしは自前で作文するので、氣心知れた人とのメッセージのやりとりから仕事のメールまで、すべて本人が書いているだろうと信じて疑わなかったわけだけれど、先日こんな話を友人Aさんから聞いた。
AさんはビジネスパートナーだったBさんから、ある時メッセージが送られてきた。AさんとBさん、現在はビジネスを共にしていないのだが喧嘩別れしたわけではなく、積み重なった出来事が原因で信頼関係を維持するのが難しくなり、Aさんの方から距離を置いている、という状態にあった。メッセージの内容は、BさんがAさんに対して過去に失礼な態度をとったことへの謝罪と、これからも応援していただけたら嬉しい、という趣旨の至極丁寧で低姿勢なものだった。
しかし、メッセージの冒頭にはこう書かれていた。
「BさんとAさんのこれまでの関係性と起きたことを整理し、謝罪も含めたメッセージを以下にご提案します」
これを見たAさん、怒りも呆れも通り越してドン引きである(苦笑)。
送られてきたメッセージは、Bさん自身が考えて書いたものではなく、AIに任せたものであることは自明だった。やってんなぁBさん…。絶対にやってはいけない mistake。謝罪文だっただけに余計にAさんとの仲をこじらせかねない mistake。うっかりやっちまったでは済まされない mistake。
「別にいいんだけど…なんだかすごく残念な氣持ちになるよね」と、Aさんは仰っていた。激しく同意である。このAさんの仰っていたことをもう少しだけ解像度を上げるなら、「別にAIで作った文章を送るのはいいんだけど…なんだかすごく雑に扱われた氣がして残念な氣持ちになるよね」、という具合になるだろう。
本当にBさんがAさんを雑に扱ったのかどうかは、誰にもわからない。
むしろBさんは、本当に謝罪したいと思っていた可能性も大いにある。けれど文章を書くのが苦手で、AIを使ったのかもしれない。AIで作文したほうが、自分が言語化するよりもはるかに読みやすく丁寧な文章になるのなら、そのほうが読み手であるAさんに氣持ちが伝わるかも、と考えたのかもしれない。
一方で、謝罪はしたほうがいいとわかっているけれど、文章を考えるのは面倒と思った可能性もある。そこで安易にAIを使って作文し、送ってはいけない文章まで送ってしまった、とも考えられる。送信する前に読み返せばこんな凡ミスはなかったと思うのだが…と、わたしまで残念な氣持ちになる。
ここに書いているBさんの背景はどれも憶測で、もっと他の事情や思惑があった可能性もある。想像の域を出ないことをつらつらと書いても仕方がないが、いずれにせよ「AIで謝罪文作成→内容確認→採用→コピペ→読み返さずに送信→自爆」という結果に至ったことは事実で、作文目的でAIをよく使う方は氣をつけたいところだろう。
自分で考えたわけではないことを、あたかも自分が本当にそう思っている、感じているかのように勘違いしてしまうところが、このデジタル時代の怖いところだ。AIにしろ、SNSにしろ、よく考えなくても簡単に情報が流れ込んで来るものだから、誰かの考えや言っていることを咀嚼せずに「自分の考え」のように思い込んではいないだろうか。
Bさんにしろ、「謝罪したい」という氣持ちはあったにせよ、AIに投げ込んで示された謝罪文はAIが作成したものであって、Bさんが考えたものでもBさんが思っていたことでもない。「そうそう、それが言いたかったの!」と、自分が思っているっぽいことを言語化してもらえたと勘違いしたんだろうなと想像するし、その文章そのものを自分が書いたように錯覚して、確認を怠って送信してしまったのかな…と、これまた想像の域を出ないことを考えてしまう。
残念ながら結果的に、自爆したことによって全く誠意が伝わらなかったどころか信頼は完全に失われ、AIを使った素晴らしい謝罪文も無駄になってしまった。
誠意ってなんだろうかと、ここでふと思う。
本当に誠意を持って文章を書くならAIを使うな、なんてことが言いたいのではない。何でも簡単にできてしまう時代だからこそ、自ら創造した部分が見えてこないと「インスタント感」が出てしまい、近しい相手ほどそれを「雑に扱われている」ように感じるのかもしれない。
Bさんにわたしが思うことは、本氣で修復したい関係がある、心から謝罪したいと思っているならば、拙くても下手でも、手紙にでもしたほうが余程誠意は伝わった、ということだ。時間はかかるし労力もかかるだろうけれど、AIに任せていいことと自ら筆を執ったほうがいいこととを、間違えてはいけない。AIが発達したからって、手書きの文字を書いていけないわけではない。むしろこんなにデジタルに溢れている現代だからこそ、アナログな手法のほうが喜ばれることもある。
デジタルに頼ってばかりでは人間本来の創造が鈍る。
人と人とのアナログな繋がりに、今一度想いを馳せてはどうか。
AIで作った文章が誤送信されたときに起こること



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