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	<title>Uncategorized | 言葉の海</title>
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		<title>静謐に、淡々と、声を上げろ</title>
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		<dc:creator><![CDATA[言葉の海]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 09 Aug 2026 01:21:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>
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					<description><![CDATA[　今朝、唐突に湧き上がった言葉。 　静謐に、淡々と、声を上げろ。 　何のことだろうと思いつつ、とりあえずキーボードを叩きながら内省していこうということで、あまり考えずにこれを書いている。 　中小企業経営者、個人事業主の方 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph"><br>　今朝、唐突に湧き上がった言葉。<br><br><br>　<strong>静謐に、淡々と、声を上げろ。</strong><br><br><br>　何のことだろうと思いつつ、とりあえずキーボードを叩きながら内省していこうということで、あまり考えずにこれを書いている。<br><br><br>　中小企業経営者、個人事業主の方々の「言語化」をさせていただくようになって7年目になる。<br>　経営コンサルタント、ITコンサルタント、講師業、建設業、地域コーディネーター、カウンセラー、運送業、アロマセラピスト、などなど……<br>　さまざまな業界、業種の方々の想いを聴き、言語化する中で、本当にいろいろなことを学ばせていただいた。それぞれに個性があり信念があり、手に届く範囲の方の幸せから地球規模の豊かさのことまで、それぞれのフィールドでお仕事を通して、ご自身の想いや夢を表現されている。<br><br><br>　わたしが大切にしてきたことは、クライアントさんの先にいるお客様や、未来も含めお仲間の方々に、クライアントさんの「核」になっている想いをお伝えすること。<br>　ご本人が言葉にしてもなかなか伝わらないこと───それは、往々にして抽象的な概念だったりするので、言語化しづらいもの───を、言葉を尽くしてイメージさせる。そうして、「嗚呼、この人ステキだな」「会ってみたいな」「一緒に仕事してみたいな」と思っていただくこと。<br>　相手がどれだけ近しい相手であっても、どんなに言葉を尽くしても、伝わらないものは伝わらない。それは言葉足らずが原因であることもあるし、相手に理解できる言葉を選んでいないこともある。<br>　「伝える」って言葉で書くと簡単だけれど、伝えたい相手の人柄や性格、日頃どんな言葉を使っているかや、相手のその時の状態や状況、伝えるときの環境なんかも影響するし、相手だけではなく自分のコンディションも考慮すると、「伝える」という行動一つが扱う情報は多く、決して簡単なことではないように思う。<br><br><br>　それでも、声を上げなければならない。<br>　特に、この混迷の時代に、中小企業が支えてきた、いや今も支え続けている日本という国では、中小企業経営者（個人事業主も含め）の声こそ、届けなければならないとわたしは思う。<br><br><br>　コスパだのタイパだのという言葉が常用されるようになって久しい。それは悪いことじゃない。人間が作業するよりも正確に、しかも速く達成されるタスクならば機械に任せたほうがいい。だけど、どんなに時代の流れが目まぐるしく巡ろうとも、削ってはいけないコストも時間も存在すると思う。<br><br><br>　丁寧に「伝える」ことは、その典型例だ。<br><br><br>　AIが普及すればするほど、文章の作成も画像の作成も…何もかもAIに頼るようになってきた。ライターのわたしでさえ、公的な文書の雛型などを作成してもらうと、そのクオリティに唸ってしまうほどだ（そのままは使えないけど）。<br>　言語化しづらい想いをそれっぽく書いた文章を、「良い感じに仕上げてほしい」とでも投げかければ、”整った” 文章がものの数秒で出来上がる。確かにスゲェ。便利。速い。楽勝じゃん、と最初は思う。<br><br><br>　だけど、翌日に読み返すと、なんだかキモチワルイ。違和感がある。こんなこと言ったっけ？と考え直す。<br>　AIが提案してくれた文章は、「それっぽく」言語化してくれているだけで、<strong>「核心」を突くものではない</strong>からだ、とわたしは思う。別に、AIたちは指示されたとおりに、学習の範囲内で仕事をしているだけなのだが、やはり人間という複雑極まりない生き物たちの生態を ”真似” たところで、個々人の想いまで情緒豊かに伝える文章を作ることは、現時点ではきっとできないとわたしは思っている。<br><br><br>　たどたどしい文章でも、その人の持つ熱意が伝わることは往々にしてある。<br>　たとえば贈り物をくださった相手にお礼を述べるときに、「嬉しかったです」でもいいけれど、砕けた表現でもいい間柄ならば、「超！超！超！超！ハッピーでした！！！」って書いたほうが伝わるときだってある。AIだってこのような差を、学習すればできるようになるのだろう。実際、AIの会話や作成する文章はどんどん自然になっている。だけれど、自分の「核」になる想いを、AIに任せるのは違うと思う。<br><br><br>　自分の内側で小さくても燃え続ける想いを、灯し続けた希望を、湧き上がる夢を、<strong>あなたの言葉で語らないでどうする。</strong>AIに語らせるなんて怠慢だ。<br><br><br>　たとえ三次元世界でまだ形になっていなくても、<strong>想いや希望や夢は、人間に描けない一つの創造なのだ。</strong><br><br><br>　日本の経済を支え、つくってきた中小企業経営者の皆さん。<br>　どうか、声を上げてください。<br>　ここでいう「声を上げる」とは、自分の正義を語り、異なる意見の者たちとぶつかり合うことではありません。<br>　静謐に、淡々と、<strong><span class="marker-under-red">魂から湧き上がる想いを、ご自身の言葉で伝えるだけでいい</span></strong>のです。<br>　それが人々のために、社会のために、日本のためになることならば、その言葉は必要な人に届きます。仲間が集まります。その想いを、夢を、実現するために現実は動きます。<br>　日本がこれ以上おかしな方向にいかないように。日本という国の素晴らしさを、日本人の素晴らしさを、経営を通して体現してください。<br>　<br><br>　混迷の時代を楽しみながら、共に生きましょう。<br><br><br>　</p>



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		<title>SNSから浮かび上がる、現代人に足りないもの</title>
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		<dc:creator><![CDATA[言葉の海]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 08:18:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>
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					<description><![CDATA[　傘を閉じ、地下へと続く階段を下りていく。　地下街。百貨店のショーウィンドウ。催事用に浴衣を着せられたマネキンは、浴衣の柄によく似合う、これまた柄の、マスクをしている。 　そもそも浴衣にマスクが似合うかと問われたら、首を [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="is-style-border-thin-and-thick has-border wp-block-paragraph"><br>　傘を閉じ、地下へと続く階段を下りていく。<br>　地下街。百貨店のショーウィンドウ。催事用に浴衣を着せられたマネキンは、浴衣の柄によく似合う、これまた柄の、マスクをしている。<br><br><br>　そもそも浴衣にマスクが似合うかと問われたら、首を縦に振りたくはない。浴衣には帯を。手には水風船とうちわを。あるいはお面とわたがしにしてほしいし、顔にはマスクではなく花火に染まる、笑顔がいい。<br><br><br>　花火大会などのイベントは軒並み中止で、どこで浴衣を着るのだろうかと考えるけれども、もし浴衣姿になれたとて、花火を見上げて緩んだ頬を伺い知れない夏。生きている間にそうそう、こんな夏はないのだろうと、マネキンに『今日もお疲れ』と、ガラス越しに氣持ちだけ置いて、今日のワタシをひとつ、落とす。<br><br><br><br><br><br>────────────────────<br><br><br>久々に、書店へ行った。<br><br><br>　卒業アルバムの自己紹介欄に『生息地：本屋』と書かれた過去が嘘のように、自粛のおかげで生息地ではなくなったようだ。<br><br><br>　愛すべき人文学のエリアが漫画の陣地拡大によりほぼ消失しており、実に面白みがなく魅力のない書店と化していた。漫画に文句を言っているのではないが、知っていたら他の書店へ行った。ここなら、少しマニアックな小説でもあったのに。秘密基地がなくなったような、寂しさがあった。<br><br><br>　しかし本屋はいい。<strong>何を読みたいかで、無意識に探すもので、今の自分が何を欲しているのかが、よくわかる。</strong>優しさなのか、温もりなのか、一筋の光なのか。久々にその感覚を味わったので良しとした。幸い、文庫はまあまあ残っていたので、自粛中に出版されていた好きな作家の小説を、作家の名前だけ確認しただけで2冊軽々手に取って、レジに向かって歩く。<br><br><br>　レジ袋が有料になったため例の如く、『袋は有料ですが如何なさいますか？』と聞かれる。会計を済ませサブバックに自分で入れた本をぶら下げて向かう出口で、『傘を入れる細長い袋はどこの店やビルの入り口にも、今まで通りに用意されることが不思議でなりません』と、傘立ての無いこの店のドアをくぐりながら独り言ちて、今日のワタシをひとつ、落とす。<br><br><br><br><br><br>────────────────────<br><br><br>　改札を出て、地上への階段を昇る。<br>　視界に入る人のほとんどが傘を差していたが、霧雨に見えたので、傘を差すべきか悩む。地上に出てみると実は横殴りだったので、重い鞄を肩にかけ直し、結局傘を差す。<br><br><br>　右側からの風が強い。持ち主を守ることを諦めた傘。横から侵入する雨は首筋に当たる。書類と機器類で重い鞄が更に、重くなった氣がする。<br>　君があの日のように右側にいたら、雨に首筋を撫でられることもなかったのかな。<br><br><br>　こんな夜は、話がしたい。語りたいことは少ないはずなのに。日常に見えて非日常の、真実に見えて虚構の、氣づかないうちに入り込まれ蝕まれていく夜の、心許なさ。他愛もない話で氣が紛れるのなら、普段語らないことも語れる。<br><br><br>　何でもいい。君ともっと、話がしたかった。<br><br><br>　雨に濡れた路面に街灯と信号機の光が反射して伸びて、見ているとぐらぐらする。頭が痛かった。暗い。誰もいない。誰も見ていない。氣を引き締めるために結っていた髪をほどいて、今日のワタシをひとつ、落とす。<br><br><br><br><br><br>────────────────────<br><br><br>　長い一日が終わって、玄関のドアを開け入り、振り向いて鍵をかけた。<br><br><br>　靴を脱いだ。<br><br><br><br>　鞄を置いた。<br><br><br><br><br>　手を洗った。<br><br><br><br><br><br>　時計をはずした。<br><br><br><br><br><br><br>　ピアスをはずした。<br><br><br><br><br><br><br>　椅子に落下するように座って、溜息をひとつ、落とした。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>　やっとわたしが、息をした。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>（「帰り道の思考。」2020年7月25日 wrote）</p>



<p class="wp-block-paragraph"><br>　コロナ禍の異様な光景と自分の中にいつの間にか溜まってしまった疲れ。もう6年も前に書いたものだが、随分と元通りになったように感じる。夏でもマスクをしている人はいるし（特に飲食店でもないのにお店などで）、相変わらずアルコール消毒とかは置いてあるところが多いけれど、それでも、コロナ禍の時に感じていた閉塞感は微塵も感じられない。<br><br><br>　その時に溜め込んだものなんだろうか、人々は、以前にも増して良くも悪くも”主張”を強くするようになった。<br><br><br>　SNSでは誹謗中傷の問題は絶えない。そしてくだらないことでの議論が活発だ。人を幸せにするものなら良いが、そうではないケースも多い。発信する側の言葉足らずや表現の乏しさなどもあるが、決められた文字制限の中で自分の意図を伝えることが、いかに難しいことか。誰でも簡単にシェアできる仕組みも如何なものかと思うし、一般人の一投稿にいちいち自分の価値観や正義感を振りかざして「間違っている」と突き付けて、要らぬ争いを生むのもどうかと思う。<br><br><br>　SNSの世界はこんなにも醜いものかと思うと、ここで書いていることを公開するのも少々億劫になる。でも、本当に醜いのは、”主張”することが正義だと思っている風潮であり、また人間誰しも、そういう部分があるということを直視できずにいることにある。<br><br><br>　”主張”せねばならない時はある。でもそれは、余計な争いを生むような”主張”であってはならない。どうしても言いたいのなら、そうならないような言い方、伝え方があるし、匿名性があるからといって攻撃的になっていいわけではない。<br><br><br>　いろんな意見があっていい。みんな違ってみんないい。でもそれは、<strong>傍若無人に振る舞っていい理由にはならない。</strong><br><br><br>　誰かを攻撃しないと、誰かに勝ったような氣にならないと、誰かよりも優位でいるように感じられないと、自分を保てないようではいけない。それは、愛に基づいているとは到底いえないだろう。<br><br><br>　エゴはさまざまな場面で、段階で、つくられる。それは必ずしも悪いものではない。ある段階では自分を守ってくれる大切な一部分ではあるが、要らなくなったら手放さなければならない。それはある人にとっては、「乗り越える」と表現したほうが良いほど難しいこともあるが、一つひとつ、”ワタシ”を落として、本来の”わたし”に戻っていくよう、努力しなければならない。それが人の”成長”というものではなかろうか。<br><br><br>　SNSのガラの悪い書き込みや誹謗中傷に興じる人たちにしろ、本当に根っこからの悪人は少ないのだろうと信じたい。大多数の人は、本来善良な魂の持ち主なのだろうと思う。<br><br><br>　みんな好き勝手言っている。簡単に自分の意見を述べている。だから、自分も言いたくなるのはわかる。自分が是としないことを飄々と語っているのを見かけると、一言申し上げたくなるだろう。しかし、本当に愛に基づくならば、レベルが低いことであればあるほど真剣に取り合ってはいけない。子どもの喧嘩に一緒になって飛び込んでいく大人を格好いいと思うだろうか？本当に理知のある大人なら、当人同士が解決できるようにサポートこそすれ、自ら進んで当事者にはならないだろう。<br><br><br>　「波動」とかあまり言いたくないが、あまり波動の低いものに触れてばかりいると、氣づかないうちに呑み込まれてしまう。そして、感度の良い人ほど疲れて（憑かれて）しまう。<br><br><br>　あなたがもし、無駄にエネルギーを消費したくないのなら、SNSを漁る時間を減らすことだ。十分すぎるほど似たような投稿はある。もう本当は、お腹いっぱいなのでは？必要以上に見ないことが賢明だ。できた時間を好きなことに費やすほうが有意義だ。<br><br><br>　美味しいアイスクリームは、溶ける前に味わうから美味しいのだ。無駄に溶けてしまったアイスクリームは、見ているだけで虚しくなるだろう。時間も同じ。無駄に溶かすくらいなら、有意義に使ったほうがいい。<br><br><br>　当たり前のことなのに、それがなかなかできないのも人間の性。人間は愚かだ。だから、自分を上手く律することだ。<br><br><br>　つまり、”自律”すること。<br><br><br>　それが現代人には、足りていないのかもしれない。<br><br><br><br><br><br></p>
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